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表参道沿いの表参道ヒルズの目の前という好立地を活かしたPR活動を展開。アパレル、ジュエリー、シューズ、バッグからスポーツブランド、時計、デジタル機器まで幅広い国内外のブランドを展示し、来場するスタイリストや編集者へのお貸出しを行っています。

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曽原 健
(PA Communication代表)
経歴

立教大学社会学部社会学科卒。
1995年外資系代理店マッキャンエリクソンを退社して独立。90年代後半G-SHOCKブームの牽引車として活躍し、2004年ファッションブランドのPRを行うifca showroomを表参道に開設。
現在、ファッションブランドやスポーツブランドに特化したPR会社で数多くのPR戦略を指揮する。

PR&ブランディング実績ブランド

G-SHOCK、ASICS、Amazon、FOREVER21 and more

趣味

ダイビング、歴史小説、DJイベント、城廻り

出身

東京生まれ 鎌倉育ち

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    【2017/05/30】

    Gregg Allman(Allman Brothers Band)が27日、ジョージア州サバンナの自宅で死去、69歳だった。


    28日の朝、Ringo Starrがこのことを報じるTweetを見て、我が目を疑った。

    そして、次々と彼を追悼する多くのミュージシャンのSNS上でのメッセージ。

    自分も現実として受け入れるしかなかった。


    Gregg AllmanのLIVEを観たのはただ1回。

    91年の初来日での中野サンプラザで開催されたAllman Brothers Bandの公演だった。

    再結成しすでに全盛期を過ぎての来日だったからか、彼らにしては随分小箱での演奏となったが、逆に間近に観られて幸運だった。

    それまではそれ程のファンでもなく、GreggよりもDickey Bettsのカントリーフレーバーに魅かれている程度だった。


    それがマッシュルームのサイケな画像が延々と続く70年代風味たっぷりな演出にやられ、そしてGreggのソウルフルでブルージーな白人の域を超えたボーカルにすっかり魅了されてしまった。その後は敬遠していたFillmore EastのLIVE等、初期の名盤を聴き漁り、あっという間にAllmanフリークになってしました。


    当時のメンバーは、Gregg、DickeyにJaimoeと今年の初頭に逝去したButch Trucksのツインドラム。この4人のオリジナルメンバーに加えて、2014年の活動休止まで活躍したギターのWarren Haynes等でかなり強力なメンツであった。

    その後にDickeyが抜けてButch Trucksの甥であるDerek Trucksが入り、2000年代には第二期の黄金期を迎えることになる。


    1969年から2014年までの長い間、紆余曲折を経てバンドを存続させ、惰性ではなく2000年代もジャムバンドの走りとして充実したLIVEを続けられたのものGreggの尽力あればこそ。


    後にストーンズのキーボードとなるChuck Leavell(1972-1976, 1986)や現在はGOV'T MULEのWarren Haynes (1989-1997, 2000-2014)等、次々と若手を抜擢しバンドを存続させてきた。

    その代表格は今やスーバーバンドに成長したTedeschi Trucks Bandを率いるドラマーButchの甥Derek Trucks。

    1999年に10代で参加し天才ギタリストとして、Greggの兄Duane Allmanの再来と言われた。Derekという名前がDuane Allmanが参加したEric ClaptonのLaylaを生んだDerek&Dominosから取られたことから考えるとまさにギターの申し子である。


    そして、兄Duane Allman在籍時に1971年に録音された「At Fillmore East」はロック史に名を残すLIVEの名盤となった。


    参加メンバー

    Duane Allman – lead guitar, slide guitar
    Gregg Allman – organ, piano, vocals
    Dickey Betts – lead guitar
    Berry Oakley – bass guitar
    Jai Johanny Johanson – drums, congas, timbales
    Butch Trucks – drums, tympani


    ここで聴かれるGreggのボーカルの凄まじさと白人でありつつブルーズを熟知した唱法。

    そして、Duane Allmanのslide guitarと変則的なリズムを展開するツインドラムの合間を縫って、Greggの鬼気迫るオルガンプレイも聴くことができる。


    ロックがロックであった時代、そしてブルーズ、ジャズ、カントリー、ソウルと凡ゆるアメリカンルーツミュージックを飲み込んでロックを新たな高見にのし上げた、20代の若者たちをリスペクトしたい。




    【2017/05/16】

    近頃はめっきり海外には行かなくなった。

    創業の頃は毎月のように海外出張があり、ロンドン、ニューヨーク、パリという定番の都市から、アフリカ、ベルギー、オーストラリア、ベルリン等々まで世界中を巡っていた。

    インターネットも発展途上でホテルの接続で四苦八苦したものだった。


    最近はもっぱら国内に旅行に行く。

    予算も時間も節約できて、日本史好きだから国内の景勝地を巡っている。


    連休は北海道新幹線を利用して、陸路で初めて北海道(函館)を訪問した。

    約4時間の旅だが文庫本を読み、駅弁を食べていればすぐ着く感じだ。


    そして今回の目的地は五稜郭。

    五稜郭タワーから見下ろした雄姿。


    新選組の副長として知られる土方歳三の最期の地としても人気がある。

    当時は函館ではなく箱館と言われていた。


    榎本武揚が樹立した新共和国に土方は賛同し、新政府軍と最後まで戦うことになる。

    和装で知られる新選組だが、これに参加することであの有名な洋装の土方歳三の写真が

    後世に残ることになる。


    この星型の異形は、西洋の軍法に基づいた攻めにくい形状であるようだ。


    地元の温泉に夜景や海産物とリーズナブルな満喫できる函館はオススメである。





    【2017/04/26】

    4月25日 日本武道館 Paul McCartney


    2015年4月28日以来、再びPaulが武道館のステージに立った。


    値段が値段だし、今回は迷った上に観ることにした。


    前回同様、ビートルズの初期曲でコンサートの幕が上がる。


    ただ実際のところ、自分にとっては前回を上回る興奮が訪れることはなかった。


    前回の感想

    https://www.ifca.or.jp/ceoblog/entry53.html


    最大の原因は武道館というスペースの広さ(狭さ?)に慣れてしまったこと。


    それと、長く続きすぎた今のPaulのバックバンドに飽きてしまったこと。


    特にビートルズの曲を演ると上手過ぎる、というか音が過剰過ぎるのが鼻に付く。


    こう思うのは昨年公開された映画「Eight Days A Week」の影響も大きい。


    同時に発売された「ハリウッドボウル」でのLive盤。


    従来、特に初期のビートルズのライブでの演奏は下手、という定説があった。


    実は観客の声でかき消されていただけで、リマスタリングされたビートルズの演奏の迫力に皆驚いたものだ。


    小手先のテクニックではなく、溢れ出るパッションとひた向きさ、特にRingoとPaulの繰り出すリズムセクションのタイトさに圧倒された。


    逆にPaul独裁のバンドだったWingsの曲の演奏はなかなかの迫力だった。

    (Jet、Let Me Roll It、Junior's Farm、1985 )


    前回は「One After 909」に世界初演奏の「Another Girl」にアンコールの「Birthday」。


    選曲の驚きと構成、そしてドームで見慣れた目には武道館はクラブのようで、会場は興奮の坩堝となった。


    今回も「Love Me Do」やビートルズ時代はRingoがリードボーカルだった「I Wanna Be Your Man」に「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」のリプライズとサプライズもあったが、初物の強みか初回には及ばず。


    個人的にはソロ第一作「McCartney」から演奏された超渋い「Everynight」に感激。


    ビートルズ在籍中に「Let it be」の発売を待たずに発売された曰くつきのアルバム。


    苦い時期に発売され不評でもあったこの作品であるが、この曲や「Maybe I'm Amazed」のような珠玉の名曲も含まれていた。


    この日はサービス精神旺盛な彼らしく「Hey Jude」や「Yesterday」も演ってくれた。


    ストーンズが武道館でもし演ればヒット曲なんか選ばず全曲ブルースカバーで通しそうだが。

    【2017/04/24】

    2017年に入り多忙のためLiveに行けてなかった。


    そして4月に入り今までの憂さを晴らすようにLiveが続く。


    まず4/14(金) 日本武道館 にてNorah Jonesの来日公演。


    前回観たのが2002年の東京国際フォーラムホールCだから本当に久しぶり。


    セットリスト

    01.Peace
    02.I've Got To See You Again
    03.Tragedy
    04.Out on the Road
    05.Sinkin' Soon
    06.Don't Be Denied [Neil Young]
    07.Chasing Pirates
    08.Rosie's Lullaby
    09.Tell Yer Mama
    10.Stuck
    11.Don't Know Why
    12.Little Broken Hearts
    13.Travelin' On
    14.Painter Song
    15.Carry On
    16.Flipside
    17.And Then There Was You
    アンコール
    18.Sunrise
    19.Creepin' In
    20.Come Away With Me


    2002年の時は新人のシンガーソングライターという初々しい風情だったが、すっかり貫禄がついて抜群に唄が上手くなった印象。

    そしてバンドとの一体感も素晴らしく、ピアニストとしての腕も中々。




    ジャズをベースにしつつ、フォーク、カントリー、ブルーグラス、オルタナティヴロックと様々なジャンルを身軽に行き来するノラらしい素敵な空間だった。



    そして二組目が同じくジャズをベースにしたSnarky Puppy。

    昨年に引き続きの来日でBlue Note Tokyoで4/16〜4/18までLiveが開催された。

    昨年は横浜のBay Hallで観たのが初見であったが、その素晴らしさに今回は初日と最終日に行くことにした。


    自分は4/16の1stと4/18の2ndに出かけたわけだが、

    初日のセットリストは
    1. GØ
    2. GROWN FOLKS
    3. KITE
    4. TAROVA
    5. SEMENTE
    6. WAM
    EC. QUARTER MASTER


     


    ノラと同様にSnarky Puppyもジャンルレスな存在で、ジャズ、フュージョン、ファンク、ラテン、テクノ、R&Bと様々なジャンルを超えた演奏を展開する。


    このバンドの最大の特長は流動的なメンバー構成。

    30人強のメンバーから毎回選りすぐりのメンバーが選ばれる柔軟性の高いバンド運営を取り入れている。

    この発案者は勿論、リーダーのMICHAEL LEAGUE。

    現在の音楽シーンで最も独創的なリーダーの一人であるMICHAEL LEAGUEは、バンドリーダーでありベーシストであり、コンポーザーでありプロデューサーであり、Ground Upというレーベルの創始者でもある。


    ベースのMICHAELとホーンの3人(キーボード兼務含む)がほぼ不動で、ドラムス、パーカッション、キーボード、ギターが流動的である。

    前回の来日でテクノ&プログレ的なサウンドを醸し出していた鍵盤のBill Laurance、ラテンな音作りに貢献したNate Werthから、Bobby Sparks(鍵盤)、日本人の小川慶太(パーカッション)に変わりサウンドが大きく変貌した。


    2017来日メンバー
    Michael League(b,key)
    Justin Stanton(tp,key)
    Mike "Maz" Maher(tp,flh)
    Chris Bullock(sax)
    Bobby Sparks(key,org)
    Chris McQueen(g)
    Jason "JT" Thomas(ds)
    Keita Ogawa(per)


    特にBobby Sparksが4/18の2ndステージのFloodで魅せたゴスペル風味満開のオルガンプレイは今回の来日の白眉であった。

    前回がテクノ&プログレとラテンのミックスなら今回はファンクをベースにゴスペル&ニューオリンズよりブラックな音展開となった。


    そして日本人としてこのメジャーリーグ級のテクニック集団に選ばれた小川慶太。

    抜け感のあるスネアとシンプルなドラミングのJason "JT" Thomas(ドラムス)との掛け合いは大迫力。少し能や囃子と言った日本的なリズムも醸し出しつつも精緻で緻密な日本人的な打楽器演奏を聴かせてくれた。


    終了後、地元の小川慶太とMichael Leagueがサイン会のサービス。

    疲労感など微塵も見せずに笑顔でサインに応じるMichael。

    経営者としての責任感か、根っからのエンターテイナーなのか。

    とにかくよく働く。


    メンバーが変わりサウンドが変われば観客から不満が出そうなものだが、またその違いを楽しめるのがSnarky Puppyの良いところである。


    バンドというのは固定的なメンバーが繰り出すそのバンドの個性を楽しむものだが、Puppyは流動的、かつ柔軟的で変幻自在。

    メンバーも観客もその緊張感とハプニング性を楽しむことでコミュニケーションを図り、コミュニティは拡大する。


    【2017/03/17】

    UA編 ②


    1995年か1996年かは定かではないが、このUAプロジェクトの進行中、創業当時の私は表参道ではなく赤坂の駅から15分ほど歩いた辺鄙な地のマンション(集合オフィス)に6畳ほどの部屋を借りていた。

    薄暗くて眺めの悪い小部屋でまだ社員もいなくてたった一人で毎日終電まで、時にはソファで仮眠をとり夜を明かすこともあった。

    G-SHOCKの仕事は徐々に始まっていたが、会社経営などしたこともない自分が継続して営んで行けるのか、不安と葛藤しながらの人生だった。


    幸い当時のカシオの人たちはファッションには疎く、ファッション流通でG-SHOCKを売れるようにすることは自分でしかできないと感じていた。

    なにせ「セレクトショップとは何か」「ビームスとユナイテッドアローズの違い」の講義をしてあげないといけないような背広軍団の会社だったから。


    しかしながらUAへの売り込みは見事に撃沈し、手詰まりになり次の一手をどうするか悩む日々が続いた。


    数週間後、誰もいないオフィスに出社し留守電のメッセージを聞くと、何と栗野氏だった。

    「もしもし栗野です。G-SHOCKの件でもう一度打ち合わせしませんか」そんな感じだった。


    栗野氏に連絡をすると「あの後、念のため売り場の若い定員に聞いてみると、G-SHOCKってすごい人気なんだね。あのMR-Gはイマイチだけど、別のモデルなら可能性があるかもしれません」という話。

    曇り空が一転して青空になった感じで、未来が広がる感覚は忘れられない。


    小躍りして鈴木氏に報告し、商品企画の担当の伊東さんを連れてUAを訪問しましょうということになった。


    この後何度か栗野さんとお仕事をすることになるのだが、クールに外面とは裏腹にとても面倒見が良くて暖かい方であることに気づくことになる。

    自分の感性には合わない商品でも、若い人たちの意見を聞いてみて最終的に判断する。

    何て素晴らしい手順であろうか、この確認作業があったお陰であのUAモデルが誕生し、G-SHOCKがファッションウォッチとしてブランド化したのである。


    そして、伊東氏、鈴木氏を伴いUA原宿店のプレスルームへ。

    当時のプレスは現在役員の山崎さんがまだアルバイト、そしてメインのプレスが吉原隆さん。

    打ち合わせは栗野さんと店舗のG-SHOCK好きの若手店員が二人くらい参加。


    期待のMR-Gは酷評されて候補からは外れた。

    他にもいろんなモデルを見せたがいずれもピンとこない様子だった。


    彼らが好むのはデータバンクや吊るしで売っていたデジタル時計で、カシオが意図的にデザインしたものはダサく感じるようだった。

    話も煮詰まり万策尽きた、そんな感じの時に「アナログのG-SHOCKはないのか?」という質問がUA側から出た。

    伊東さんが「1989年に出たAW-500というのがあるにはあるが、出して全く売れずに廃盤なんですよ。型も廃棄したかもしれません」と答える。

    念のため、型の存在を確認にすることでその場はお開きになった。


    結局、型は残っていて、その後に伝説となるG-SHOCKのUAモデルが誕生することになる。


    また後日談は次回に。。








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