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表参道沿いの表参道ヒルズの目の前という好立地を活かしたPR活動を展開。アパレル、ジュエリー、シューズ、バッグからスポーツブランド、時計、デジタル機器まで幅広い国内外のブランドを展示し、来場するスタイリストや編集者へのお貸出しを行っています。

Profile

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曽原 健
(PA Communication代表)
経歴

立教大学社会学部社会学科卒。
1995年外資系代理店マッキャンエリクソンを退社して独立。90年代後半G-SHOCKブームの牽引車として活躍し、2004年ファッションブランドのPRを行うifca showroomを表参道に開設。
現在、ファッションブランドやスポーツブランドに特化したPR会社で数多くのPR戦略を指揮する。

PR&ブランディング実績ブランド

G-SHOCK、ASICS、Amazon、FOREVER21 and more

趣味

ダイビング、歴史小説、DJイベント、城廻り

出身

東京生まれ 鎌倉育ち

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    【2017/12/28】

    今日で仕事納め。

    2017年も終わろうとしている。


    会社はオフィスの改装、働き方改革等と次々と新しい波が訪れた。


    久しぶりにホームページもリニューアルした。


    https://www.pa-c.co.jp


    7-8月は改装のためオフィスを離れてリモートワーク。


    オフィスにいるだけが仕事じゃないと、自分にも良い意識改革になった。


    クライアントは新規で上期はNew Balance、ヤーマン等が増えて幸先の良いスタート。

    下期は久しぶりのG-SHOCKのイベントが大成功と2018年に向けて良い波は継続している。


    2018年も年末に新規が3件決定。

    中でも大手PR会社を打ち破り競合コンペを勝ち抜いた大手外資の下着ブランドは、PACにとって初の下着への取り組みとなる。

    詳細はここから


    ファッション中心にやってきた弊社もライフスタイルPR会社として、ファッションよりビューティーや音楽の比重が高まってきている。


    ここ数年ファッションは少々元気ないが、弊社は数年前からライフスタイルに特化したPR会社へと模様替えしたので影響はない。


    ファッションもできてビューティーも音楽もできる唯一の存在になりつつある。


    カシオの伊東専務やユナイテッドアローズの栗野さん等、仕事において記念碑的な方々との再会も続いた。


    プライベートでは仕事の合間を縫ってのLive通いが続いた。


    明日の29日のロバート・グラスパーがLIVEの納めとなる。


    とにかくBlue Noteには何回も通った。


    例年参加しているLive Magic!ではQuarter To Africaというイスラエルのすごいバンドに出会って大興奮。


    4月にBlue Noteで観たSnarky Puppyと並ぶ今年のBest liveだった。


    そして、初めて朝ドラにハマった。

    前半に放映された「ひよっこ」は素晴らしい連続ドラマだった。


    自分の好きな群像劇で、主役以外にも次々とスポットが当たり飽きさせない展開に脚本家の力量を感じた。


    女性ドラマーのシシド・カフカや峯田和伸など演技の専門家でない演者の心憎い演技にもハマった。


    ロック歌手の峯田和伸が主役となった、ビートルズの来日前夜の興奮を赤坂という街を舞台に描いた展開にも身震いした。


    スポーツでは筋トレ中心を卒業してヨガに通い始めた。


    なんと一度も着いたことのない前屈で、指先が地面に着いた!


    とりあえず柔軟性をますます高めていきたい。


    2018年は自分にとっても新しい仕掛けが始まる元年。


    楽しみだ!

    【2017/12/28】

    「お互い、生き残りましたね。」


    2017年も終わりが近づくある日、表参道の交差点で懐かしい方に再会した。


    自分、そしてあるブランドの行く末を左右したその人とは。


    セレクトショップ「ユナイテッド・アローズ」(UA)の栗野宏文氏だ。


    今はユナイテッド・アローズのクリエイティブディレクション担当上級顧問、当時は常務取締役だった、と記憶している。


    このブログでも書いているが、当時とは1996年。


    この年の10月にG-SHOCKにとって分岐点となるUAモデルが発売された。


    詳細はこの記事を。

    http://www.mens-ex.jp/special/g-shock-1996/


    ストリートファッションでは圧倒的な人気のG-SHOCKがモード的なファッションも手がけていたユナイテッド・アローズとコラボレーションすることで、ファッションウォッチとしても間口を広げた歴史的な出来事だった。


    当時、自分はG-SHOCKのセレクトショップでの販路開拓を目標としていた時計企画部の方々の依頼を受け窓口となっていた。そして、メディア等で既に著名人だった栗野氏を訪ねてコラボの交渉を重ねていた。

    ※その辺りのことはこのブログても書いているのでご覧いただきたい。


    当初、G-SHOCKの存在すら知らなかったのに、現場の店員 や広報の方にリサーチを重ねて、このコラボレーションの英断を下してくれた恩人である。


    その後もG-SHOCKに目をかけてくれて、アントワープモデルのきっかけも作ってくれた。


    当時、私と同行した時計企画部の伊東氏がアメリカでの赴任を経て、今や専務となったことは伝えると「そうですか、すごいですね」と喜んでくれた。


    そして、自分の近況を伝えると、栗野氏は冒頭の「お互い、生き残りましたね。」という言葉をかけてくれた。


    もともと、言葉の使い方が粋だった氏の言葉遣いは一段と磨きがかっていた。


    タイミング次第で「生き残る」って素敵な言葉だなっと思った。


    そしてファッション界に確固たる地位を築いた氏も長い人生で紆余曲折があったのだろう。


    来年の2月にカシオの伊東氏も交えて初めて夕食を共にすることになった。


    年末に自分の人生を回顧するような素敵な言葉をもらった。





    【2017/11/17】

    UA編 ②


    1996年のこのUAプロジェクトの進行中、創業当時の私は表参道ではなく赤坂の駅から15分ほど歩いた辺鄙な地のマンション(集合オフィス)に6畳ほどの部屋を借りていた。

    薄暗くて眺めの悪い小部屋でまだ社員もいなくてたった一人で毎日終電まで、時にはソファで仮眠をとり夜を明かすこともあった。

    G-SHOCKの仕事は徐々に始まっていたが、会社経営などしたこともない自分が継続して営んで行けるのか、不安と葛藤しながらの人生だった。


    幸い当時のカシオの人たちはファッションには疎く、ファッション流通でG-SHOCKを売れるようにすることは自分でしかできないと感じていた。

    なにせ「セレクトショップとは何か」「ビームスとユナイテッドアローズの違い」の講義をしてあげないといけないような背広軍団の会社だったから。


    しかしながらUAへの売り込みは見事に撃沈し、手詰まりになり次の一手をどうするか悩む日々が続いた。


    数週間後、誰もいないオフィスに出社し留守電のメッセージを聞くと、何と栗野氏だった。

    「もしもし栗野です。G-SHOCKの件でもう一度打ち合わせしませんか」そんな感じだった。


    栗野氏に連絡をすると「あの後、念のため売り場の若い定員に聞いてみると、G-SHOCKってすごい人気なんだね。あのMR-Gはイマイチだけど、別のモデルなら可能性があるかもしれません」という話。

    曇り空が一転して青空になった感じで、未来が広がる感覚は忘れられない。


    小躍りして鈴木氏に報告し、商品企画の担当の伊東さんを連れてUAを訪問しましょうということになった。


    この後何度か栗野さんとお仕事をすることになるのだが、クールに外面とは裏腹にとても面倒見が良くて暖かい方であることに気づくことになる。

    自分の感性には合わない商品でも、若い人たちの意見を聞いてみて最終的に判断する。

    何て素晴らしい手順であろうか、この確認作業があったお陰であのUAモデルが誕生し、G-SHOCKがファッションウォッチとしてブランド化したのである。


    そして、伊東氏、鈴木氏を伴いUA原宿店のプレスルームへ。

    当時のプレスは現在役員の山崎さんがまだアルバイト、そしてメインのプレスが吉原隆さん。

    打ち合わせは栗野さん、吉原さんと店舗のG-SHOCK好きの若手店員が二人くらい参加。


    期待のMR-Gは酷評されて候補からは外れた。

    他にもいろんなモデルを見せたがいずれもピンとこない様子だった。


    彼らが好むのはデータバンクや吊るしで売っていたデジタル時計で、カシオが意図的にデザインしたものはダサく感じるようだった。

    話も煮詰まり万策尽きた、そんな感じの時に「アナログのG-SHOCKはないのか?」という質問がUA側から出た。

    伊東さんが「1989年に出たAW-500というのがあるにはあるが、出して全く売れずに廃盤なんですよ。型も廃棄したかもしれません」と答える。

    念のため、型の存在を確認にすることでその場はお開きになった。


    結局、型は残っていて、その後に伝説となるG-SHOCKのUAモデルが誕生することになる。


    むろんほぼ廃棄寸前の型の復活は剛腕の伊東氏の存在なしにありえなかった。


    最近記事として現場にいた吉原さんのインタビューが公開された。

    自分と記憶が違う部分もあるが、かなり昔の話なのでご愛嬌。


    http://www.mens-ex.jp/special/g-shock-1996/


    黒子だった自分の名前は出ていないが、当時は今よりもモードで先鋭的でセレクトに特化していたUAとG-SHOCKが組めるなんて奇跡であり、BEAMSなんかと組むよりも一足飛びのインパクトがあった。


    このコラボレーションなしにG-SHOCKの今の姿はない。


    そして、UAコラボレーションモデルと名付けられたこのモデルの存在は「コラボレーション」という名前の普及に大いに貢献したのであった。


    事実上の世間で初の「コラボレーション」といえるプロジェクトである。








    【2017/10/13】

    もうすぐ衆議院選挙です。


    弊社の社員は選挙に行くのか、関心があるのか、心配になる時がある。


    特に若い人たちに言いたい。


    選挙に行きなさい。


    今の社会構造は中高年以上に有利で、若年層に不利に働きがちである。


    納税者の最大の権利は投票する権利。


    会社員は天引きなので自分は納税者という感覚がないけど、額面と手取りの差額が国や自治体に吸い込まれて行きます。


    そのお金の使い道に文句を言ったり、方向性を決めたりすることができる唯一の機会だから。


    今回の選挙、直前に離合集散もあり、一体どの党が良いやら、どの候補者が良いやら

    迷う挙句に棄権、なんてことのないようにしたい。


    大別すると「右と左」「改憲か護憲か」「戦争できる国か平和な国か」というわかりやすい対立軸があり、マスコミ的には「保守とリベラル」と騒ぎ立てています。


    まあ、この対立軸が子供でもわかる最も簡単な対立軸だから。


    憲法を変えるかどうかは大事なIssueだから、それで選んでも良いのだけど、介護や育児、消費増税等、わかりやすく言えば自分が得するかどうか、自分の所属するグループや世代が得するか、どうかで投票するのもわかりやすいし、それでも全然OK。


    今の政党の構成員は主張がバラバラの候補者が、自分達が受かりたい一心で集まった互助会的利益集団だから、支持政党などなくてもok。


    候補者と比例の投票先が別の政党でもok。


    まずは候補者や政党のホームページを見て、自分の関心のある政策があるか、掘り下げ方はどうか、方向性は自分と近いか等を見て決めよう。


    自分は中小企業経営者なので、中小企業対策に関して言及があるか、どうか、そして掘り下げた言及があるかを判断材料にします。

    後はダイバーシティ(多様性)への配慮や積極的な提言があるのか、等々。


    浅ければ専門家がいないし、掘り下げ方が詳しければその分野の専門家がいて熱心であると推測できます。


    まずは「自分に得するか」「好みに合う政策に詳しいか」等でも良いから、棄権しないで投票には行こう。


    ホームページを見て考えて、投票所まで15分程度(多分都内なら)、正味一時間の権利の行使。

    【2017/10/10】

    UA編 ①


    90年代後半から2000年頃にかけて共に様々な仕掛けを行った伊東専務との再会によりG-SHOCKに関する様々な記憶が頭をもたげてきた。


    通称イルクジ・モデルと並んで、エポックメイキングなモデルが1996年に実現したUAモデルだ。※UA=United Arrows


    今となってはG-SHOCKとセレクトショップとのコラボは雨後のタケノコのように乱発されているが、まさにこれは正真正銘の第一弾である。


    当時の状況はといえば、G-SHOCKは世間的にはマイナーな存在で、カシオの営業施策上、主な販売場所はヨドバシ、ビッグといった量販店でセレクトショップのようなファッション流通での販売は皆無であった。

    定価販売のセレクトで割引販売の量販と同じ商品を定価で売っても売れるはずもなかった。


    その頃、G-SHOCKの購買年齢層を上げるために「MR-G」というメタルを使用したG-SHOCKのサブブランドの構想があった。

    ※当時はプラとメタルのコンビだったがその後フルメタルとして大人層にG-SHOCKを拡大する先兵となった。

    これをBEAMSやUAのようなセレクトショップで販売したいという願望があり、当時販売促進の係長だった鈴木裕之さんの依頼で私が先兵となりファッション流通にコンタクトをし始めていた。


    当時仲が良かった雑誌Switch。今はテレビのコメンテーターとして有名になった湯山玲子氏が編集者として席を置いており、立教大学の先輩の中学の同級生という繋がりで親交があった。以前はびあにいた湯山氏とは私がマッキャンに在籍している時に「びあMAP バリ島」を一緒に作るためにバリ島に出張し二週間ほど滞在した仕事仲間でもあった。


    その繋がりでSwith社の役員のHさんの紹介でユナイテッド・アローズを訪問し、G-SHOCKのセールスをすることになったのである。


    ビームスを離脱した社員数人が1989年に設立したユナイテッド・アローズ。

    原宿の外れにある原宿本店(渋谷区神宮前3丁目)にH氏が紹介してくれるという販売促進の責任者を訪ねることになった。今のように大衆化した存在ではなかったUAは海外からのセレクト中心で白壁の欧州の神殿のような店構えはG-SHOCKのようなストリートものを拒絶しているように感じて否が応でも緊張感は高まる。

    地下のプレスルームに通されるとなんと対応してくれたのは、既にビームスのプレスとして雑誌などでもお馴染みの栗野宏文さんであった。名刺を見れば常務取締役。雑誌などでお見かけするスタイリッシュな容貌とは裏腹な低音で迫力のある声と腕に付けられたアンティークのロレックスを見て絶望的な感覚に襲われる。


    恐る恐る持参したG-SHOCKのMR-Gを見せながらG-SHOCKの説明を始める。

    栗野氏は困ったようにG-SHOCKを見ながら、「僕は基本的には時計はロレックスだからアナログで、デジタルはねぇ。G-SHOCKっていうんですか? 僕は知らないんですよ。うちのお店にも会わないと思うな」とつれないお言葉。

    要するに撃沈である。

    MR-Gの評価も「中途半端ですね」と散々であった。

    ということで、スゴスゴとUAを後にしたわけである。


    G-SHOCKブームとはいうものの所詮まだまだマイナーな存在であり、一過性のブームで終わるのか、ブランドとして定着するのか、この時期が分水嶺であったと今からだと思える。


    その時は敗北感に苛まれながら「とんちゃん通り」と呼ばれた原宿駅への道を暗い面持ちでトボトボと歩いたのを思い出す。


    (続く)





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