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表参道沿いの表参道ヒルズの目の前という好立地を活かしたPR活動を展開。アパレル、ジュエリー、シューズ、バッグからスポーツブランド、時計、デジタル機器まで幅広い国内外のブランドを展示し、来場するスタイリストや編集者へのお貸出しを行っています。

Profile

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曽原 健
(PA Communication代表)
経歴

立教大学社会学部社会学科卒。
1995年外資系代理店マッキャンエリクソンを退社して独立。90年代後半G-SHOCKブームの牽引車として活躍し、2004年ファッションブランドのPRを行うifca showroomを表参道に開設。
現在、ファッションブランドやスポーツブランドに特化したPR会社で数多くのPR戦略を指揮する。

PR&ブランディング実績ブランド

G-SHOCK、ASICS、Amazon、FOREVER21 and more

趣味

ダイビング、歴史小説、DJイベント、城廻り

出身

東京生まれ 鎌倉育ち

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    【2014/05/19】

    5/17(土)国立競技場に向かう大江戸線の中でTwitterに流れるPaul公演中止の報。


    結局ポール・マッカートニーの国立競技場2Daysは両日とも、キャンセルとなった。


    1980年のウイングスの武道館公演以来、二度目のドタキャンを演じたPaul。

    日本とは縁が悪いのか。


    1980年の時は来日の際に成田空港で麻薬不法所持で逮捕されたのだから、その衝撃は凄いものがあった。

    刑事に両脇を抱えられたPaulの画像が何度も登場し、Paulファンはその度に胸を痛めた。


    自分は運良くと言うか何と言うか、その時のチケットは抽選で外れていた。

    刑務所で「イエスタディ」を皆のために歌ったとか、色んな報道が流れた。


    その日は手持ち無沙汰となり、急遽銀座で食事をした。


    ラール・エ・ラ・マニエール


    これが以外に穴場でとても堪能した。


    キハチにいたシェフの繊細な味付けと素材選び。

    ソムリエも親切で分かり易いし、セレクトもとても良かった。


    何だか得した気分。


    【2014/05/16】

    自分の備忘録として開始したG-SHOCKストーリーだが、あまりにも膨大な出来事があり記憶を辿るのも疲れて来た。
    そこで、骨休めにG-SHOCKの女性版「Baby-G」を掘り起こしてみよう。

    何せBaby-Gは今年でもう20周年になると言う。(1994年デビュー)
    その頃はまだ自分は会社員としてマッキャンエリクソンに在籍していた。
    G-SHOCKの女性版を作るとかで、オフィスに調査の協力の依頼にカシオの方がいらしたのを
    記憶している。
    その後、渋谷の街で開発のAさん達がリサーチしていたのを少しお手伝いした。

    デビューした頃のBaby-Gはまだ名前が付いていず、G-SHOCKのミニ版という風情で時計にも
    G-SHOCKと印字されていた。
    結局Baby-Gと名付けがされたが、「Baby=赤ちゃん」と誤認されるなど不評であった。

    当時はボディボードのブームで女性ボーダーを囲い込むようなPRを他社でやっていた。
    さらに、当時は渋谷が若者の情報発信地であったので、「渋谷発」というコンセプトで自分のコネがあった渋谷の西武でプロモーションを起業の頃に企画したりした。
    ただ、どれもクールと言う印象にはほど遠い施策だった。
    G-SHOCKはいいけど「Baby-Gにはイケテル印象はないよね」という感じ。

    さて、ここで1996年に私が企画したBaby-GのPR施策について紹介してみたい。

    今や映画監督として一流の存在となった「ソフィア・コッポラ」。
    言わずと知れた巨匠「フランシス・コッポラ」の娘さんである。
    1996年ではまだ映画監督ではなく写真家として注目を集めていたが世間的には無名。
    当時、カルチャー系で注目を集めていた「ガーリーカルチャア」の旗手としてその手が好きな
    女の子には知られたコアな存在だった。

    このソフィアをBaby-GのPR施策に起用した「早過ぎた」企画。
    渋谷パルコでソフィア・コッポラなどガーリージェネレーションの著名女性クリエーターを集めた展示会を開催したいが資金が無いというのが話しの端緒。
    ソフィアを始め、ソニック・ユース&「X-GIRL」のキム・ゴードン、映像作家のタマラ・デイヴィス、等の5名の女性アーティストが参加するというものだった。
    ここにBaby-Gをタイアップさせ、無理矢理「Baby」つけて『Baby Generation』というタイトルをつけてもらいパルコで展示会を開催することに。

    さらにPRの幅を広げるため、雑誌「Cutie」(宝島社)をこのカルチャーの発信地LAを連れて行き、ソフィア・コッポラを取材させることを試みた。
    今となってはファッションの宝島として大した出版社となっているが、当時のファッションはこのCutieだけ。
    このCutieがこの頃から爆発的に売れ始め、この後Spring、Smart、Sweetと快進撃が続く、その前夜である。
    上り坂で強気だった当時のS編集長に会いに行くと、著名なカメラマンでの撮影を条件として出され、伝手を辿りホンマタカシ氏にオファーした。

    ホンマ氏と共にシンガポール航空でLAに到着、閑静な高級住宅街にあるソフィア宅を訪れる。邸宅には豪勢なプールがあり、さすがハリウッドの大物のファミリーと緊張が走る。
    撮影用のBaby-Gを見たソフィアはあまりお気に召さず着用を拒まれる。

    カシオからはどうしてもソファア着用の写真が欲しいと言うリクエストがあったので、苦肉の策として、当時はソフィアが運営していたブランド「Milk Fed」とBaby-Gのコラボを提案し、そのベースモデルなら、と着用のOKが出た。
    結局カシオが売りたい新作はLAで急遽モデルを雇い撮影した。
    さらに『Baby Generation』の期間内にパルコでMilkFedのPOP UPショップをやることも決り、そこでコラボモデルを売ることにした。
    さらにBaby-Gの広告の写真家としてソフィアを起用することも決定し、かなりの立体的なPR施策となった。

    彼女が映画監督としてメジャーになるのは2003年公開の『ロスト・イン・トランスレーション』以降であろう。
    「ゴッドファーザー」を生涯の名画としてリスペクトする自分にとって、その娘のソフィアの自宅を訪問し撮影することは起業したばかりの自分にはかなりの緊張の連続だった。
    プロジェクト自体も順調と言うより、皆さんこだわりの多い人達で実際はかなり難航した。

    以下のウエブに『Baby Generation』については記載されている。
    http://d.hatena.ne.jp/jun_amai/20101101/1288601237

    因にBaby-Gの20thのビジュアルはソフィアの姪のジア・コッポラが担当しているらしい。
    昔の仕事をパクられた(笑)気もするが、良しとしよう。

    【2014/05/15】

    ウディ・アレンの新作「ブルージャスミン」を辻堂で観た。


    「マッチポイント」(2005年)辺りから続く、ヨーロッパ都市シリーズ。

    バルセロナ、パリ、ロンドン、ローマと続き、

    今度は本拠アメリカに戻り、NYとサンフランシスコが舞台。


    1977年「アニーホール」以来、アレンの作品は都市の風景を記号として、とても巧みに

    取り込んでいる。(ここでは、NYと西海岸のライフスタイルの対立が象徴的に描かれる)

    それぞれの観客の都市への記憶やイメージを計算して作品が成り立つ。


    今回は定番のNYと多分初の取り組みとなるシスコの風景とライフスタイルが対立的に登場し、

    華やかな過去と落ちぶれた現在をあぶり出す。


    どちらかと言うと群像劇が得意な最近のアレンだが、今回はケイト・ブランシェットの鬼気迫る演技を引き出す事に注力している。


    出て来る人物は皆通俗的で、話しの展開も「昼メロ」的な身も蓋もない話し。


    だが、アレンのフィルターを通る時、「ミッドナイト・イン・パリ」のほろ苦コメディも

    本作のような通俗的な話しも同質的なウディ・アレンの世界になる。

    皆、この味が食べたくて「アレン・レストラン」に通い続ける。

    まさに「アレン・マジック」だ。


    ダイアン・キートン、ミア・ファロー等、アレン作品に溶け込んで来た女優達とは違う、

    監督と女優が違和感を戦わせながら新しい作品をまた生み出した。


    ケイト・ブランシェットの凄みとその背景となるサンフランシスコの風景がたまらなく魅力的な作品だった。

    ※ケイト・ブランシェットは「アニーホール」のダイアン・キートン以来のアカデミー主演女優賞を獲得した。


    それにしても、ケイト・ブランシェットはもの凄い存在感と演技力という言葉では到底表せないリアリティ。

    ウディ・アレン×ケイト・ブランシェットと言う夢の組み合わせが、元々凄い彼女のマグマのような内面から、さらに人を振るわせる何かを絞り出したのである。

    【2014/05/14】

    再来年の大河ドラマが真田幸村を題材にした「真田丸」に決まった。

    「新選組!」に続いて三谷幸喜が二度目の大河の脚本を担当する。


    歴史に詳しくないと「真田丸」と三谷らしい人を食ったようなタイトルで、「新選組!」の!を思わせる。

    歴史通であれば「大阪の陣」の際に幸村が作った要塞の名前であると分かるはず。

    この違和感のあるタイトルも彼の狙いではあると思う。


    このタイトルが幸村が戦死した「大阪の陣」をメインに描くのか、或は「丸」に一族の意味合いを持たせ真田親子や真田兄弟にまで広げた一族の物語にするのか、はまだ謎。


    そして、ほぼ同時に公式ではないが幸村を堺雅人が演じる事も記事になった。

    堺と言えば今や押しも押されぬトップ俳優としてその地位を確立しているが、実は小劇場出身の遅咲きの役者である。

    彼の名前が全国区となったのは三谷の大河「新選組」の山南敬助役である。

    この大河、視聴率的には失敗作であったが、ネットを中心にカルト的な人気となり今も人気投票をすると上位に入る作品である。

    その牽引車となったのが堺がやった山南人気であった。

    彼が切腹した回「友の死」は大河として初めて通常の再放送とは別に再放送された程である。

    この「新選組」には堺以外にも、小日向文世、山本耕史、藤原竜也、オダギリジョー、小林隆、生瀬勝久、八嶋智人など、舞台や映画などで活躍する演技派が大挙して登場。

    大河としては地味な配役も祟り、大衆的な人気とならなかった。


    堺はこの次に参加した大河「篤姫」の家定役で人気俳優の階段を駆け上り、「半沢直樹」で今や人気と実力を兼ね備えたドル箱俳優となる。

    そして、遂に大河の主役に指名される。


    ここ数年、視聴率の低迷を続ける「大河ドラマ」の救世主となるのだろうか。

    そして、第一作で低視聴率に喘いだ三谷幸喜のために堺が一肌脱いだと言う見方も出来る。

    まさに自分を抜擢してくれた「堺の恩返し」だ。

    山南の演技が無ければ今の地位も無いはず。

    義理堅い彼はそれを忘れずに、拘束の長い大河も敢えて受けたのか。


    それにしても三谷幸喜は「敗者(滅びの美学)好き」である。

    新選組では滅び行く徳川幕府に味方し、共に滅びる隊士の悲哀を描いた。

    今度の大河ではその徳川幕府のために滅び行く「豊臣家」に命を捧げる「真田幸村」を描く。


    個人的には「大阪の陣」に集結する真田を始め、後藤又兵衛、毛利勝永、長宗我部盛親等の牢人軍団の群像劇に期待したい。

    【2014/05/09】

    イルクジ成功秘話(4)


    G-SHOCKでは世間的にコラボモデルと言うものをタイアップモデルと呼んでいる。

    数多く出来ては消えたタイアップモデルの中で今も現存しているのはイルクジだけ。

    それだけ衝撃的なデビューを飾ったモデルであり、ファンも多い。


    「1996年に第5回国際イルカ・クジラ会議記念モデルとして登場した2代目“イルクジ”では、本体やベルトに半透明のスケルトン樹脂を採用。男女問わず絶大な人気を集め、社会現象ともいえるブームを引き起こした。」(PRONWEB)


    現在我が社で得意としているPR手法に「メディアツアー」がある。

    媒体の記者達を海外のイベント等に招聘して、記事にしてもらうものだ。

    これを弊社で最初に手掛けたのがこのイルクジ二代目のデビューPRだ。

    当時は自分もメディアツアーなど経験した事の無いPRの素人で不安の中の進行だった。

    まだメールが浸透していない時代、情報のない海外での取材は手探りでもあった。

    まして行き先の西オーストラリアは日本から行く人も少ない未踏の地である。


    イルカの保護に積極的でアイサーチの本部もあるオーストラリアへのメディアツアーは

    正攻法ではあるが、最も分かり易くこのモデルの特性が伝えられる。

    招聘した雑誌は「Diver」(ダイビング誌)、「Be-Pal」(アウトドア誌)。


    この頃のG-SHOCKのPR手法はまずコアな雑誌で露出して、徐々にファッション誌等の

    マスな媒体に拡散すると言うものだったが、これを踏襲した。


    総勢5〜6人のチームとなったこのメディアツアーの一行は西オーストラリアの玄関口

    パースに到着した。

    ロケバスに乗り合いそこから向かったのが、パースの北約830㎞、世界遺産シャークベイにあるモンキーマイア。

    自然のイルカが毎日ビーチにやって来るスポットで簡単に野生のイルカと触れ合える場所。


    その後はロッキンガムと言う「ドルフィンスゥィム」が体験出来る場所。

    ここで初の「イルカと泳ぐ」を体験した。


    西海岸の撮影が終わり、反対側の東海岸のブリスベンまで飛行機で飛び、東のドルフィンスポットを取材。

    広大なオーストラリアを西から東と横断し初のメディアツアーは終わった。


    この取材で多くのイルカの研究者と会い、G-SHOCKを渡して話しを聞いた。

    その様子を上手く記事にして「イルカを保護する人々に愛用される」G-SHOCKと言うイメージ作りを行った。

    G-SHOCKのスケルトンのボディとオーストラリアの青い海の相性は良く、良い写真が撮影出来た。

    今迄のG-SHOCKのイメージは「湾岸戦争」「スケボー」「クラブカルチャア」等々。

    「環境保護」という今迄と真逆な視点での仕掛けは支持されるのか。。


    まだスケルトンのG-SHOCKなどは世の中に存在せず、G-SHOCKと言えば黒という時代だった。まして、「イルカクジラのG-SHOCK」など思いもよらぬ存在だった。


    だから、まず自然を愛する読者に先行的に告知するという戦略だった。


    1996年3月の発売の約二ヶ月前、遂にこの告知記事が世の中で出ることになった。

    まずは仕掛けの第一弾として「Diver」誌上で先行予約販売を行った。

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