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表参道沿いの表参道ヒルズの目の前という好立地を活かしたPR活動を展開。アパレル、ジュエリー、シューズ、バッグからスポーツブランド、時計、デジタル機器まで幅広い国内外のブランドを展示し、来場するスタイリストや編集者へのお貸出しを行っています。

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曽原 健
(PA Communication代表)
経歴

立教大学社会学部社会学科卒。
1995年外資系代理店マッキャンエリクソンを退社して独立。90年代後半G-SHOCKブームの牽引車として活躍し、2004年ファッションブランドのPRを行うifca showroomを表参道に開設。
現在、ファッションブランドやスポーツブランドに特化したPR会社で数多くのPR戦略を指揮する。

PR&ブランディング実績ブランド

G-SHOCK、ASICS、Amazon、FOREVER21 and more

趣味

ダイビング、歴史小説、DJイベント、城廻り

出身

東京生まれ 鎌倉育ち

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    【2013/09/26】

    久しぶりに民放の連ドラを続けて観た。

    視聴率の記録を更新した「半沢直樹」。

    気になる役者の1人である堺雅人の主演、さらに池井戸潤氏の原作ということでチェックをしていたが、とにかくTVドラマを観ない自分がここまではまるとは驚いた。


    このドラマの勝因を敢えて一言で言えば「キャスティング」だろう。

    人気重視ではなく実力があり役にはまる役者を適材適所で置いたことに尽きる。

    特に舞台中心に活躍する俳優でしかも滑舌の良い役者を選りすぐりで選んでいる。


    その代表が主演の堺雅人。

    彼を自分が発見したのが大河ドラマ「新選組!」で演じた山南敬介。

    ここでの変幻自在の演技は大河史上初となった山南の切腹を描いた回「友の死」の再放送に結びつく。

    表情もさることながら、時代劇では「台詞回し」(滑舌)が重要で、その後は好きな役者の基準は滑舌になる。

    彼の場合、滑舌が良いから長い台詞も滞り無く、こちらに伝わって来る。


    メジャーの役者で自分が演技が上手いと思う2人を挙げるなら堺ともう1人が香川照之。

    その香川照之とオネエ言葉の片岡愛之助は何れも歌舞伎界から。

    香川は俳優を経て近年歌舞伎に進出。片岡は歌舞伎の血筋ではないが養子という形で歌舞伎役者になったという点では両者とも歌舞伎界の異端児。

    わざと大袈裟な舞台回しにしている本作の中で、歌舞伎出身の2人の大仰な演技はぴったりはまっていた。


    第一部の敵役、支店長役の石丸幹二は劇団四季等で活躍するミュージカル歌手。

    部長役の吉田鋼太郎は蜷川舞台の実力派。

    岸川部長演じた森田順平は文学座出身だが赤面症で長らく俳優を休み声優で活躍していたらしい。そんな彼の最終回での慟哭も長い俳優生活でも特筆すべきものだっただろう。


    さらに、同期の近藤役の滝藤賢一は仲代達矢の無名塾出身。

    世間的には無名の役者を第2部の重要な役どころに配した英断に脱帽する。

    個人的な名場面はこの近藤を大和田常務が料亭で追いつめるシーン。

    目が血走った名演技は、同期の友情と銀行に戻りたいという組織の一員としての願望の板挟みになった人間の心情がほとばしっていた。

    今後は堺が新選組で名を挙げた様にオファーが増えて行くだろう。


    その他、小木曽や古里のような小物にも手を抜かない配役がこのドラマを本物に仕立て上げた。


    世の中は綺麗ごとだけじゃ済まない。

    人は「善」に生きたくても、「悪」は全ての人の心にも潜んでいる。

    小悪党や大悪党、このドラマは色んな「悪人」を本気の演技で描いてくれた。


    だから半沢の正義を貫く「善」が光り輝いて人々は溜飲を下げた。

    半沢自身の正義感の中にも「倍返し」のような人間らしい「恨みへの仕返し」の感情が根底にあり、正義を単なる綺麗ごとで描かない所も共感を呼んだ所だろう。


    【2013/09/04】

    2013年9月1日、復活したサザンオールスターズの茅ヶ崎ライブに行って来た。

    ※正確には茅ヶ崎の隣駅辻堂の映画館でのライブビューイングを鑑賞した


    サザンと言えば鎌倉育ちの自分にも馴染みのあるバンド。

    デビュー曲の「勝手にシンドバット」が発売されたのが高校時代。

    「茅ヶ崎」「江ノ島」「湘南」と歌詞に散りばめられた地元の地名に親近感を憶えた。


    それから数年間、サザンの足跡を追い続けたが、最後にアルバム「KAMAKURA」を購入し、

    それ以降関心は薄れて行った。

    マニアック志向の自分にとって余りにも大衆化したように写るサザンは熱狂の対象とは足り得なくなっていた。

    35周年の今年復活した彼らの新譜はありがちな再結成の有り様ではなく、その年代に相応しいリアルタイムの存在感だった。

    特にメッセージ性の強い「ピースとハイライト」を聴いて、衰えない桑田圭祐の創造性と反骨精神に感心し、ライブにも足を運ぶことになった。


    リアルタイムに聴いた名曲「Ya Ya」でライブは幕を開けた。

    青学のキャンパスの風景を歌い込んだこの曲。

    本人たちが所属したサークル「Better days」も歌詞に盛り込まれた。


    池袋というオシャレでない駅にあった立教の学生だった自分はファッションの街、青山にある

    青学まで出掛け学食でよくランチをした。

    青山にあるだけで青学の学生は垢抜けて見え、サザンの存在はさらにそれを倍加させていた。


    そして、早くも三曲目に35年前のデビュー曲「勝手にシンドバット」。

    これは批判でなく、彼らの最高傑作はこのデビュー曲で、未だこの曲の衝撃と完成度を超える曲は発表されていない気がする。

    因にG-SHOCKの最高傑作も初代の5600であると思う。

    つまりデビューにしてもの凄い完成度を備えていた、という位この曲の衝撃はド級だった。


    「何を言っているか分からないと」と口を開けば評論家はそう言った。

    サビの歌詞が「今何時?」という脈絡の無い言葉。

    「意味不明」という批判と日本語をロックに乗せるために響きを優先した歌詞という賛否が

    両論した。


    そして「江ノ島が見えて来た 俺の家も近い」という歌詞で曲はクライマックスへ。

    幼少より家族で良く箱根にドライブに出掛けた。

    国道の渋滞に辟易していると海にエボシ岩が見え、そして江ノ島が見えるとホッとしたのを思い出し、このハチャメチャな曲に郷愁を見出す瞬間だった。


    ラテンなリズムと昭和歌謡風メロディ、そして衝撃的な歌詞とデビューとは思えない渋いボーカル。

    このバンドのエッセンスが凝縮された名曲は35年経過しても褪せること無く全ての世代達に響いて行く。


    さらに、前半には「パシフィックホテル」「江の島」と地元の地名が読み込まれた「夏をあきらめて」も披露される。

    「地元の人間は湘南なんて誰も言わない」と桑田自身は言ってるらしいが、鎌倉出身の自分にとっても湘南という言葉は遠く響く。

    しかしながら、日本全国に湘南のイメージを拡散させた功罪がサザンにあるのは間違いないだろう。

    【2013/08/23】

    イルクジ成功秘話(3)


    G-SHOCKの成功の仕掛けのベースには「From USA」「From Europe」等と必ず、海外で流行っているG-SHOCKというイメージ付けがある。

    元々G-SHOCKは日本で全く売れずに海外で売れ始め、日本では販売されていないモデルが「逆輸入」として渋谷の洋服屋で販売され、密かなブームとなったのが日本での流行の兆しである。

    基本としてG-SHOCKは洋物であるというイメージ戦略を愚直に徹底した。


    そこで、このイルクジは提携団体のアイサーチの本拠であるオーストラリアから発信するという仕掛けを考えた。

    厳しい自然環境のオーストラリア。そこでイルカなど海洋研究をしている研究者もG-SHOCKを装着していた、そして彼らの研究をサポートするG-SHOCKが登場、というPRストーリーである。

    G-SHOCKの耐衝撃構造ではない機能として「防水機能」をアピールすることで顧客層を広げる、さらに「環境保護」という社会貢献のイメージによるPR記事の獲得がこの「イルクジ」のミッションだったので、このプランで行くことになった。


    早速、提携先のアイサーチジャパンを通じて、オーストラリアのイルカ研究者をリサーチすることになった。

    1996年3月発売に合わせて発売の少し前にメディア露出するには、いつオーストラリアを取材したらいいのか、どの媒体が適切かと言う検討が始まった。


    また、この二代目G-SHOCKの正式名称も「第5回国際イルカ・クジラ会議記念モデル」と決定した。これはこの会議がベルギーのブリュッセルで開催することが決まり、その記念モデルという位置づけとなった。

    弊社では商品企画も担当していたので、商品からPRまでという上流から下流までを1社で展開出来るという理想としていたワークスタイルも実現に近づいた。


    この会議のロゴマークは菊池氏という日本人デザイナーがデザインしたもので、これを裏蓋に刻印する


    【2013/08/23】

    イルクジ成功秘話(2)


    ここで伊東氏の紹介も兼ねて以下の記事をお読みいただきたい。


    米国でG-SHOCKブームを仕掛けた男、その4つの視点――伊東重典氏


    今やアメリカカシオの会長まで上り詰めた氏であるが、当時は時計企画部の課長に過ぎなかった。どちらかと言うと上から目線でクライアントと付き合うマッキャンは伊東氏から見ると「代理店風情が偉そうに」という思いがあったんだろう、冷遇されていた。自ずと自分も生意気なプランナー、程度の見立てだったろう。彼はマッキャンというブランドに胡座をかいた我々よりも、理屈よりも手足として汗をかくタイプのI社のK氏を可愛がっていた。


    そんな関係もあり伊東氏と自分は暫く疎遠になっていた。


    そして、イルクジの成功を賭けた大仕掛けのミーティングの席で再会を果たす。


    元々が社内の反対を押し切り発売されたが散々の結果だった「イルカクジラ」がなぜ復活することになったのか。

    そこにこの伊東氏の仕掛人としての資質が垣間見れる。

    この「イルカクジラ」のミッションは、G-SHOCKとして初のスケルトンモデルの発売だった。黒のG-SHOCKというイメージは既に限界に来ており、新しいカラーイメージを開拓する必要に駆られ「スケルトンのG-SHOCK」が企画会議の遡上に上がった。

    しかし、当時伊東氏の直系の実力者の佐藤部長の反対に合い挫折する流れだった。


    そこで、社内説得の材料として「イルクジ」が浮上した。

    「海に棲む知能の高いイルカやクジラ」「彼らを保護するという気高い思想」「海の持つ爽やかなイメージ」そして、スケルトンはこの「イルクジ」一回こっきりの限定モノで一期一会のものである、という論理で社内を説得したのである。(結局、スケルトンのG-SHOCKはこの後も乱発される)



    久しぶりにお会いした伊東さんは開口一番「曽原さん、透明のG-SHOCKってどう思う?」と切り出した。




    ここから、スケルトンのG-SHOCKという禁じ手を限定という名を借りつつ、実は数万本売るという一大仕掛けが始まった。

    このチャレンジが成功すればG-SHOCKは再度さらに大きなブームを迎える、自分と会社にとっても生き延びるための大きな賭けになる、興奮で頭の中を様々な思いが駆け巡った。


    早速、どのような仕掛けでこの二代目イルクジを拡販するか、そのプランを考える日々が始まった。


    【2013/08/23】

    イルクジ成功秘話(1)


    マッキャンは希望退職で自分を含むカシオチームの主要メンバーが会社を離れ機能不全に陥っていた

    私のベルリン行きを阻止した因縁の局次長より「会社に机を提供するから企画スタッフとして雇用したい」という連絡があった。月額○○万円という提示はお金に困っていた自分には有り難いものだったが、丁重にお断りした。辞めた会社の下請けに甘んじるのでは、何のために独立したか分からなくなるから。


    経緯を鈴木氏にするとカシオと直接業務契約を結ばないかと言う話しをいただいた。

    例の「イルカクジラ」の二代目の話しが浮上しており、「元々は曽原さんが企画とコネクションで成立したコラボレーションだし、マッキャン経由で関わるのも面倒だから」と言うことで商品企画に関してのコンサル契約を結ぶことに。

    月額はマッキャンからの提示の半額だったが、自分が企画したことに筋を通して話しを進めてくれるカシオさんの誠実さに賭けてみようと決心した。今のカシオさんは残念ながら人が企画したものを断りもせずに他社に振ってしまうような仁義の薄い人が増えたが、当時は狡い人はいなかったように感じた。だから何年もこの会社とは仕事が続いている。


    さて、ここで所謂イルクジの成り立ちに付いて説明を加えたい。

    元々の正式名は「国際イルカ・クジラ会議モデル」という長たらしい名前が略称「イルカ・クジラ」がさらに略され「イルクジ」なのである。


    以下公式資料より
    「第5回国際イルカ・クジラ会議記念モデルのG-SHOCK。
    会議の開催をして、雄大なクジラをイメージしたG-SHOCK4モデルとフレンドリーなイルカをイメージしたBaby-G5モデルが発売されました。半透明の「ホワイトスケルトン樹脂」素材を初めて採用した、ナチュラルでソフトなデザイン。裏蓋には、第5回国際イルカ・クジラ会議記念のシンボルマークを刻印しました。ELバックライト発光時には、クジラの部リーチングスタイルが浮かび上がります。このモデルのサブネームは「The Breeze」です。
    ※これらオフィシャルウオッチの売上金の一部は国際イルカ・クジラ会議の活動資金として寄付されました


    話しは初代が発売された94年に遡る。

    西武にG-SHOCKのポップアップショップを作ったきっかけは従兄弟が西武の広報にいたコネクションがあったからだった。その従兄弟の上司のS女史の友人に「国際イルカ・クジラ会議モデル」なる不思議な会議を主宰するNPO組織アイサーチ日本支部の代表岩谷孝子氏がいた。

    その繋がりで初代イルカクジラが生まれたのである。


    その時は「国際イルカ・クジラ会議」の第4回目が日本の江ノ島で開催されるということで、その記念商品として初代イルクジが商品化された。

    当時、「グランブルー」で人気のあったジャック・マイヨール(ダイバー)や後にクマに襲われて命を落とした写真家・星野道夫さん、ピーター・ラッセル(科学者)が参加するなど、自然保護に関心ある人なら垂涎のメンツが参加していた。


    さて独立して二代目の企画に関わることになった自分は久しぶりに岩谷氏に会うために代々木上原にある「アイサーチ・ジャパン」のオフィスを訪ねた。

    そこであの伊東氏と久しぶりに再会したのであった。

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