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表参道沿いの表参道ヒルズの目の前という好立地を活かしたPR活動を展開。アパレル、ジュエリー、シューズ、バッグからスポーツブランド、時計、デジタル機器まで幅広い国内外のブランドを展示し、来場するスタイリストや編集者へのお貸出しを行っています。

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曽原 健
(PA Communication代表)
経歴

立教大学社会学部社会学科卒。
1995年外資系代理店マッキャンエリクソンを退社して独立。90年代後半G-SHOCKブームの牽引車として活躍し、2004年ファッションブランドのPRを行うifca showroomを表参道に開設。
現在、ファッションブランドやスポーツブランドに特化したPR会社で数多くのPR戦略を指揮する。

PR&ブランディング実績ブランド

G-SHOCK、ASICS、Amazon、FOREVER21 and more

趣味

ダイビング、歴史小説、DJイベント、城廻り

出身

東京生まれ 鎌倉育ち

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    【2015/02/19】

    今年、2015年から弊社で新しい組織を立ち上げる。


    「広報コンサルティング・グループ」という部門だ。


    少し堅苦しい名称だが、弊社にしては派手ではなく堅実な業務を行う部門だ。


    弊社のようなファッションPRの会社は往々にして「広報」が弱いとされている。


    showroomでのリースが強く、スタイリスト経由でファッション誌での露出が得意で、

    ネットワーク重視で戦略に乏しく、報道には弱い、というイメージだ。


    最近、こんな類いの報道が増えている。


    雑誌低迷、沈む街の書店  「若者向け」重視されず

    http://www.47news.jp/47topics/e/261427.php


    ネットや電子書籍の普及で出版業界は長期低落傾向だが、雑誌の低落傾向はその中でも顕著である。


    一昔前はファッションは雑誌に掲載されれば、瞬く間に完売という神話にすがって来れた。


    しかし、今弊社のようなファッション系PR会社が今迄通り雑誌に依存していると、いつかとんでもないしっぺ返しに遇う、と言うことを数年前から危惧していた。


    リクルートに関してもファッションのプレス出身者の採用より、広報に強いPR会社経験者に絞り採用を強化して来た。


    今回立ち上げた「広報コンサルティング・グループ」は、アシックスなど大手企業の広報部門と雑誌向けのPRだけでなく、新聞や経済誌とも向き合いリレーションを作り上げて来た実績をベースに活動をロンチする。


    またFOREVER21等ではローカルの店舗開店のPRを数多くこなし、ローカルのテレビ局での露出を積み上げて来た実績も大きい。

    昨年だけで和歌山、岐阜、名古屋2店、都内と多くの店舗イベントを芸能人をキャスティングして売上に貢献して来たが、多くのTVの報道を獲得した。


    雑誌だけだとどうしても東京中心だが、新聞やTVは各ローカルごとの対応が求められる。


    今回の組織は長年PR会社で大手化粧品の広報コンサルティングを手掛けて来た女性社員をヘッドに、大手PR会社からリクルートした2名の部員、合計3名の組織。


    幸先良く、大手インナーウエア会社の広報の仕事も決まった。


    これで弊社もPRプロデュース、ifca showroom、営業管理、広報コンサルティングと4グループ体制となった。

    ファッションリースは勿論、PRイベントや商品企画、SNSから堅実な広報まで、様々な業種のPRニーズに応えられる組織となった。


    他のファッションPR会社では出来ない強みを掲げて、さらなる成長を仕掛ける。

    【2015/01/30】

    3. 『リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド』(Living in the Material World)

     /George Harrison


    「静かなるビートル(Quiet Beatle)」と呼ばれ、ビートルズの中でも地味な存在のジョージ・ハリスン作品の中から敢えて地味なこのアルバムを大いに愛聴した。


    ビートルズの中で最年少で曲の披露の機会も少なく抑圧されていたジョージだが、ビートルズ末期(アビーロード)にその才能が開花し、その束の間にビートルズは解散を迎える。


    代表曲となる「サムシング」を含むアビーロードは1969年9月に発売。

    1970年5月にはビートルズ最後の作品「Let it be」が発売、同年11月には3枚組の大作となる実質ソロデビュー作の「オール・シングス・マスト・パス」をジョージは発売。

    その間にもジョージ自身、一度ビートルズを脱退していた事実もあり、解散を見据えて周到に準備した結果の大作発表、そしてポールやジョンを差し置いて最初にソロで成功したのはダークホースのジョージだった。


    そしてこの1973年発売の『リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド』は3枚組の大作「オール・シングス・マスト・パス」の次作と言うこともあり、埋もれた作品として語られることは少ない。


    自分も「オール・シングス〜」と1987年の「クラウド・ナイン」は愛聴したが、このアルバムには去年迄食指が伸びなかった。

    フィル・スペクターとジェフ・リンと言う大物プロデューサーに委ねられた2作品は悪く言うと大仰だが、セルフプロデュースの本作品こそがジョージ・ハリスンというミュージシャンの等身大の姿を映し出している。


    聴いてみるとクセになると言うか、何度聴いても飽きないスルメのような魅力、まさにジョージの人柄が溢れる一品に仕上がっている。

    とにかく繰り返し繰り返し聴いても、ジワジワと良さが染みて来る。


    豪華ゲスト満載ではないが、固定メンバーで録音されているので派手さはないがアルバムとしての統一感がある。

    この職人的なバックミュージシャンの演奏が実に素晴らしい。

    ドラムはリンゴとジム・ケルトナー。

    ベースはビートルズソロの常連クラウス・フォアマン。

    ピアノはストーンズのサイドマンとして知られたニッキー・ホプキンス。


    一流のスタジオ・ミュージシャン達が仕事として流した演奏ではなく、本当に自分たちの演奏の粋を結集させた思い入れを感じる。

    そして、そうさせてしまうジョージの人柄を感じてしまうのだ。


    また、ギターはゲストプレイヤーがいないためジョージのギターが堪能出来る。

    特にビートルズ解散後、モノにしたスライドギターのプレーは必聴の価値。

    ビートルズ時代評価されることの少なかったジョージのギターだが、解散後のスライド・プレーによってトップギタリストの仲間入りを果たしたのは面白い。

    デュアン・オールマンに代表される豪快なブルース的なものではなく、ローウェル・ジョージのような南部的な粘り気のあるサウンドでもなく、メロディアスで繊細な響き、まさにオリジナリティのあるスライド・プレーである。


    一曲目の「Give me love」はアコースティックなバラードにも関わらず、演奏陣のプレイが凄いことになっている。

    小技を入れまくるジム・ケルトナーのドラムとうねりまくるクラウスのベース。

    美しいフレーズを奏でるニッキー・ホプキンスのピアノとそれに絡み付くジョージのスライドのソロ。

    生ギターの弾き語りで済ませられるような曲に、極上かつ複雑なプレーを載せてしまうもの凄い演奏陣に感嘆してしまう。


    ロックバンドにおいては脇役であることが多いピアノだが、この作品は楽器が少ないのも幸いしてロック界の至宝鍵盤プレイヤー故ニッキー・ホプキンスの硬軟織り交ぜたピアノの響きがくっきりと楽しめる。

    ビートルズでの「レボリューション」でのファンキーなプレーは印象深いが、三曲目の「The Light That Had Lighted The World」での美しいピアノの調べは素晴らしい。


    そして、このアルバムの白眉はタイトルナンバーの「Living in the Material World」。

    同名のジョージの伝記映画の題名にもなったこの曲には、ポール、ジョン、リンゴの実名も登場するジョージらしい皮肉の効いた歌詞になっている。

    まずドラムスはリンゴとジムのツインドラムになっているが、ツインドラム史上最高の響きとも言えるコンビネーションを展開する。

    リンゴの独特な跳ねるビートをツインドラムの名手ジムが適格にサポート、素晴らしい曲のノリを産み出している。

    そして、ジョージのスライドとジム・ホーンのサックスの絡み、さらにタブラが入りジョージ

    の好きなインドテイストも入り、ジョージテイストの集大成のようなナンバー。

    自分的にはジョージの最高傑作にして、70'sロックの代表曲であると思う。


    ここにこのアルバムを偏愛するミュージシャンのコラムを転載する。

    いかに玄人受けする作品かを噛み締めて欲しい。

    http://www.barks.jp/news/?id=1000090982


    作曲家としてのポールもアーティストとしてのジョンも凄いが、時代を敏感に切り取るセンスや共演するミュージシャンの生かし方等、ミュージシャンとしてのセンスの凄さではジョージは元ビートルズの中でも随一だったと思う。

    【2015/01/22】


    2.フィルモア・イースト・ライヴ(原題:At Fillmore East)

       /オールマン・ブラザース・バンド(The Allman Brothers Band)


    昨年見た映画のベスト1は間違いなく「黄金のメロディ マッスル・ショールズ」だろう。

    1950年代後半から1960年代、人種差別が根強いその時代に黒人歌手のバックを白人ミュージシャンが務めることはタブーだった。

    そのタブーに挑戦した「マッスルショールズ」にあった「フェイム・スタジオ」が映画の舞台。そこに登場するストーンズのミックやキース、アレサ・フランクリン等、キラ星のような有名アーティスト達がそのスタジオの伝説について語ってくれる。

    証言者の1人としてオールマン・ブラザーズ・バンドのグレッグ・オールマンが登場し、彼の口から、バンド結成前このスタジオでギタリストとして働いていた兄のデュアンについての興味津々の逸話が語られる。

    黒人以上に危ないヤツとして恐れられた「ヒッピー」のデュアン・オールマンは、ウィルソン・ピケット等の黒人歌手のバックで数々の名演をモノにする。


    デュアンの得意とするスライド奏法は、ウィスキーボトルの細い首の部分で弦を滑らせ独特な音色を奏でた所から「ボトルネック・ギター」とも呼ばれ、一世を風靡した。

    不世出のスライド・ギタリスト、デュアン・オールマンの唸るようなギタープレイが堪能出来るのが1971年発売のライブアルバム「フィルモア・イースト・ライヴ」(オールマン・ブラザース・バンド)である。

    2014年自分はこのライブアルバムを始め、このバンドのCDを聴きまくった。



    デュアンとグレッグのオールマン兄弟を中心にツインギター、ツインドラム、ベース、キーボードと言う編成で結成されたオールマン・ブラザーズ・バンド(ABB)。

    一枚目、二枚目とセールス的に振るわず、勝負をかけたこの三枚目は敢えてライブアルバム二枚組となった。

    このアルバム発売直前にはデュアンはエリック・クラプトンの結成した「デレク&ドミノス」に参加し、腕と名声を上げての満を持してのライブとなった。


    起死回生の一作が見事に当たり、ABBはロック史に名を残すことになる。

    後にフォローは産み出したこのバンドスタイルは「サザン・ロック」と呼ばれ、かのサザン・オールスターズもこのサザンから命名されている。

    あの桑田氏もディアンの得意するスライドギターをステージでたまに披露しているのは、その名残か。


    二枚組ながらたった7曲。
    20分を超す曲等、リスナーは延々とバンドのアドリブ演奏を聴かされるが、退屈することはなく、全面に溢れる緊張感は尋常ではない。

    スライドギター史上、最高の名演と言われるデュアンのフレーズの数々。
    白人ながら黒人並みの喉を聴かせるグレッグのボーカル。
    ツインドラムによる不規則で独特のダイナミズムを持つリズム。

    ブルースカバーが多いので「ブルースロック」とも形容されるが、ジャズの影響も強く、
    次代のクロスオーバーやフュージョンも先取りしており、一筋縄では行かない演奏力である。

    ブルースの野性的な熱さとジャズ的なクールさのブレンドが強烈なオリジナリティとなり、延々と続くインプロビゼーションだが一時も耳を離せない。

    これが20代前半の若者達の演奏だと思うと身震いさえする。

    白眉はセカンドギタリストのディッキー・ベッツ作のインストゥルメンタル「エリザベス・リードの追憶」である。

    歌無しで延々と続く即興演奏だが、気持ちが途切れること無く10分以上創造力を駆使した6人の若者の演奏には本当に驚く。

    技術が発達した現代ではここ迄の演奏技術に自分を高めるのは凡そ不可能であろう。


    ふとバラカンモーニングで耳にしたデビュー盤収録の「Dreams」からABBの虜になってしまい、遂に去年発売された6枚組の「フィルモア・イースト」でのライブの全レコーディングを収録した12,000円のボックスセットまで購入してしまった。
    当然、同じ曲での演奏日違い等が含まれているのだが、このバンドに関しては全ての演奏を聴き比べる価値がある程、ステージでの演奏力は卓越している。

    ドラマーのジェイモは「フィルモアのステージで体外離脱体験をした」と語っている。
    この時の彼等は神がかっていた、それをビシビシと感じるロックライブ盤史上、不朽の名作である。


    残念ながら、この数ヶ月後、デュアンはオートバイ事故で短い一生を閉じることになる。

    それも含めて伝説的な瞬間の積み重ねがこの記録には封印されている。


    ローリングストーン誌の「歴代最高のライヴアルバム TOP10」では2位にランクしている。

    http://matome.naver.jp/odai/2135359349280262501

    【2015/01/21】


    昨年(2014年)に良く聴いた愛聴盤を紹介。

    新譜ではなく、あくまで自分が気分で良く聴いたアルバム。


    1.Rumours(噂)  Fleetwood Mac

    1977年にリリースされ、グラミー賞の最優秀アルバムも獲得した。
    そして、何と言っても凄いのがセールス。
    累計4000万枚で世界で最も売れたアルバムで第4位というから凄い。
    因に1位はマイケルの「スリラー」、2位はピンクフロイドの「狂気」。



    なぜ、自分が昨年このアルバムにはまったか。。

    Fleetwood Macはこれほどビッグな存在ながら、日本での人気は今ひとつ。

    当時このアルバムを自分が購入することも無かった。


    最近の自分の音楽の情報源はピーター・バラカン氏。

    今は無き「バラカン・モーニング」である朝かかる曲に気付き、特定のアーティストに

    はまっていくことが多かったのが昨年。


    この日は元Fleetwood Macのボブ・ウェルチの「悲しい女」がかかった。

    Fleetwood Macの不遇時代を支えたボブ・ウェルチだが、ソロになってヒットを飛ばす。

    その第一弾がMac時代のリメイクとなる「悲しい女」。

    この曲にはMac時代の旧友ミック・フリートウッドとクリスティン・マクヴィーが参加。

    このクリスティン・マクヴィーのバックボーカルに魅せられ、Fleetwood Mac熱に火が付いたのだった。


    Fleetwood Macの3人のボーカリストの中でも以前は最も関心の薄かったクリスティンの

    靄がかかったようなスモーキーボイスにこの年齢になり魅せられた。


    その白眉が「Rumours」に収録された「You Make Loving Fun」。

    シングルヒットしたこの曲が自分にとってもフェバリット・ソング。

    曲も最高だし、アレンジも良い。

    クリスティンの弾く違和感のあるクラビネット、臨調感のあるバッキンガムのギター。

    3ボーカルならではのコーラスで畳み掛ける。


    単に売れたポップ・ロック。

    そんな印象のMacの「Rumours」だが、音の深みと計算尽くしの構成は知れば知る程、

    なぜこのグループがここ迄長続きしたのかを想像させる。


    そうこうする内に録音過程が分かるレア音源とライブ入りの「Rumours (35th Anniversary Edition Super Deluxe)」と言うボックスセットを買ってしまった。

    さらに録音の裏話満載のDVDまで購入。

    ここでは、クリスティンとジョン・マクヴィー夫妻とリンジー・バッキンガムとスティービー・ニックスの恋人同士の2つのカップルの破綻と同時進行で作られたアルバムであることが赤裸々に語られる。

    私怨を捨てて、プロフェッショナルに徹したメンバーが緻密に研ぎすまされたポップ・ロックの最高峰を産み出す。

    解散寸前に渾身の創造性を絞り出したビートルズの名作「アビーロード」に比肩する傑作だと思うように昨年になり至った。


    この後はニックスとバッキンガム加入以前のMacまで買い漁る程、数ヶ月Macに没入した。

    数10年を経て今は無きボブ・ウェルチが主力メンバーだったMacに辿り着いたわけだ。


    「クリスタルの謎」と言う奇妙な邦題の「heroes are hard to find」。

    ミック・フリートウッドとジョン・マクヴィーのオリジナルメンバーとウエルチ、クリスティンの2人のボーカリストと言う最小人数で作られた紀元前のMacのアルバム。

    そこそこのセールスながら次が凄過ぎて、存在自体が超地味だが名作である。


    i Tunesでも配信されていないこのアルバム。

    クリスティンの一世一代のバラード「Come a little bit closer」。

    https://www.youtube.com/watch?v=nclZKBysaRc


    埋もれてしまうのは勿体ない名曲。名盤。

    【2015/01/14】

    2014年は弊社PA Communicationとして大いに伸長した年度だった。


    売上で12%、利益で22%の伸長率で、達成額も売上、利益共に過去最高の数値である。

    ここ数年は売上、利益共に順調に伸長している。


    新規では米国本社と直取引でFOREVER21を獲得したことも、この成長に寄与した。

    その他、チチカカ、花菱、GRI Japan、ビヨンクール、ATSUGI等多くの良質なブランドを

    保有する新規取引先を開拓した。


    さらに、ファッション以外の企業として「カフェカンパニー」との新規取引が開始され、WIRED CAFE等のコンサルとPRの担当をすることになった。


    ファッション専門のPRエージェンシーから、ライフスタイルに特化したPRエージェンシーへの脱皮が促進されている。


    社員も残念ながら離職した人間もいるが、強力な新戦力が加わった。

    新卒が二名、キャリアではPR会社から2名、大手アパレルの広報経験者が1名加わる等、

    強力な布陣となった。

    年末には外資広告会社から男性が1名、年初にはアメリカ人が1名が加わり、グローバルなワークにも対応できる布陣だ。


    個人的には2014年末に鎌倉から港区に引っ越した。


    勿論、通勤苦からの脱却がある。(往復4時間の通勤)


    それ以上に鎌倉市の行政に対する諦めもある。


    逗子市が海の家条例を改正し、音楽、飲酒等での取締が強化され、所謂「海の家のクラブ化」が不可能となった。

    そのため「海浜でクラブのように遊興したい若者」がその反動で大挙して鎌倉に流入し、一気に治安が悪化した。

    例えばライブハウス「音霊」が逗子から由比ガ浜に移転した。


    裸体の若者は「裸族」と呼ばれ、我が物顔で近隣を闊歩する。

    夜は酒に乱れた男女がコンビニ前でたむろし、歌舞伎町と何ら変わらない風景。


    何度か鎌倉市役所に苦情を申し立てたが改善の兆しは無い。


    行政は住民の安寧した生活よりも観光客や市外の海の家業者の権益を重視したのである。


    こんな市に市民として税金は払いたくない、というのが主たる移転理由だ。

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